まえがみのニンニンニン

我が名はまえがみであり前髪である。書きたいことを書きたいように書いているのである。

「日本人はなぜ英語が苦手なのか」について真剣に考えてみる

英語の勉強をほそぼそ(超ほそぼそ)と続けているが

一体自分はどうなりたいのか、

どこまでいったら英語が話せる、といえるのか

マレーシアに2か月いても全く答えはでず

そのままダラダラ続けている

 

帰国後はじめてあった人に

「英語話せるようになった?」

っていう質問を必ずされるが、これもうまく返せず

ていうか正直もうこの質問はお腹がいっぱいである

 

そもそも「英語を話せるようになる」というのはどの程度なのか!?

わからない

かなり外国人と楽しい日々を送っていたが、あれは英語が話せていたのか??

わからない

それ以前と自分では英語能力は変わったのか??

一番わからない

 

ただ、

「英語を話すための精神と意識」

みたいのはがっつり体験的に学んだように思う

 

現地にいた日本人とお酒を片手に「なんで日本人は英語苦手なのかねぇ」

なんて話で盛り上がったりもしたが、

違う外国人からは

「日本人が、というわけではない。世界を見渡せば英語を話せない人なんてゴマンといる。日本人が外国人と関われる場にいる外国人は、そりゃあ語学が出来る人が多いだろうがね。」みたいなことをいわれ

たしかに、とも思った

 

そもそも「いや、全然できませんよ」という何に関しても謙遜や自虐をしてしまう

世界でも有数の性格を持つ日本人が

「日本人は英語できないんで~」っていうのは、なんかものすごい日本人のクセっぽくてちょっと恥ずかしくなる

 

「日本人はコマーシャル大国ですぐ言葉に影響を受けるので、英会話教材や英会話教室の脅し文句に洗脳されすぎている」

みたいな他の人の意見もあり、それもたしかにである

 

まあそれをいっちゃあおしまいなので

この「日本人が特別英語ができないわけではない」のかどうか、はさておき、

よくいわれる「日本人はなぜ英語が苦手なのか」

について

 

語学学校初日に、なんかビビビビっと色々分かった気がしたんだけど

考えがまとまってなかったので、まとめる意味をこめて

書いていこうと思う

 

 

「教育がダメ」説について

一番人々がいいがちなこれ。会話や実用性を重視してなかったという点で、一理ある。もちろん一理ある、

と思うんだけど、要因の一つとしては最も弱いと思っている。

(語学学校初日に、正直全否定したくなった説である)

先生が「あなたたちはこれから英語を「話せる、使える」ようになるために、英語を勉強しています。今は読み書きを学んでいても、話し、使うことが最終目的です」

って一言でも言ってくれれば、違うだろうなと思う

 

日本語の複雑かつ曖昧でも使えちゃう自由度の高さ

私の中でこれが一番の要因と思っている。

(ので見出しを大きくしてみた)


日本語は複雑でよくできた素晴らしい言葉だ、という評価がよくあるけれど

その複雑さとこの閉鎖的な島国で育ちに育った「超ハイコンテクスト性」が絡み合い

適当でも、曖昧でも、ばっちりコミュニケーションとれちゃうこの性質が、

英語と相反していて、「日本語から英語」へ訳せず使えるように

なるまでのスパンが長くなるのだと思う。

 

(「ハイコンテクスト」とは

同じ文化を持つ人同士だからこそ読み取れる「言葉そのもの以外」で分かり合える部分。

「空気を読む」「以心伝心」などのソレである)

 

そこらへんで気づいたのが、英語と日本語、それぞれの「文語」「口語」

のへだたりである。

日本人の会話は、どんなに正しく喋っていると思っている人であっても、

ある程度くずれているのが普通である。

文法のどっかを入れ替えたり省いたりしてもつうじるし、

物凄く、適当に喋れるのである。

ただし、「正しさ」がしっかり求められる文章になると全く違う。

 

「私は太郎が昨日薦めてくれた映画を見に行った。」

という文。

これを人に話す感じにすると

「太郎が昨日薦めてくれた映画見に行ってきた」

もっと自由にもできる

「昨日太郎が薦めてくれた映画見てきた」

「あの映画見てきた。昨日太郎がすすめてくれたやつ」

これが言う人によっても言い方が変わるし、気分によっても変わるだろう

 

英語だと、一般的には

I went to see the movie Taro recommended yesterday」

だろう。関係代名詞のありなし、修飾などを省けば、小説の中であったとしても同じようなものだろう。

より丁寧な言い方、若者言葉、は存在するにしても

まず主語はあまりはぶかないし、言葉があっちこっちいくことも一般的ではないと思う。

 

英語ももちろん、例えば英語圏の母国語英語です、っていう人が友達と喋ってる英語は日本人には到底分からない

かなりくずれた英語だろう、とは思うけれど

それでも、日本語の自由さ、曖昧さに比べればいく分ましなのではないかな。

 

よく翻訳機を使う時に思うけど、出てきた英訳が微妙で、

「あれ、そもそも、この言葉、正しくはどんな意識で使ってるだろうか」

と逆に考えさせられてしまう表現も日本語はありがちである。

あまり「言葉の本来の意味」を考えずに使ってる言葉の多いこと多いこと!

ニュアンスですましてる言葉の多いこと多いこと!

 

そういう意味では「日本語」はだいぶ美しくない言葉、ともいえる。

 

あ、でも日本人

日本語はこんな曖昧に自由に使うくせに、逆に

「言葉で全てを表現したがる」っていう実に言葉に几帳面な性質があって

そのせいで英語にはない表現、オノマトペなんかもでてきたりして

それもまた非常にやっかいである。

(なので私はマレーシアにいる時思考がとてもシンプルになったし、無駄な説明はしなくなった)

 

「文法が違うから」説も大いに影響はあると思うが、

そこの部分よりむしろ、こっちの言語性質のほうが足を引っ張っているだろう。

 

発音が全然違うから

これは正直言い訳だと思う。

 

たしかに世界を見まわしてみても特殊な発音方法の日本語。

そのため聞き取れるようになるまでがめちゃくちゃ大変だし

アメリカ英語の発音そっくりになるまでもめちゃくちゃ大変。

それにくわえカタカナの存在も足を引っ張ってくる。

 

でも 英語で会話する ってまずそこじゃないよなぁ

ってマレーシアってすごく感じた。

だってみんなそれぞれの訛りがあるんだもの!!

 

もちろん相手が聞き取ってくれるようにそれなりの発音が

できるようになるのは大事だけど

日本人はそれ以前の問題である

「ヘタクソな発音が恥ずかしくて言葉を発しもしない」

ことのほうがどれだけ恥ずかしいか、を

身をもって学ぶ必要がある

 

次の↓要因につながる

 

 

性格

いわずもがなである。上と同じレベルで大きな要因。

地域差、個人差は大きいものの、大きく言ってしまえば日本は

相当なコミュニケーション苦手人間の集まりであると思う。

(そのせいでサブウェイがいまいち流行らなかったレベルの)

 

失敗をおそれる、はみだしものにされたくない性質、はみだしものにしてしまう性質、

照れ屋さん、他社を思うことと自分の印象のため会話がめっちゃ疲れる、

そして自分に自信がない、慎重

など、要因となる性質をあげればキリがない…

 

でも言葉は普通「コミュニケーション」のためにある

そもそもコミュニケーションが得意でない日本人が言葉を習得するのは

めちゃくちゃハードルの高いことなのではなかろうか??

喋れば喋るだけうまくなる。それは当たり前のことなのだけれどね…

 

東南アジアや中東の人たちの真逆と思えるほどの性質たるや!!

もちろん内向的な人もいるだろうけど、その割合が恐らく日本人とは逆。

「シャイな人も活躍する社会」

みたいな英文を授業でならったときに先生が「あなたは自分がシャイだと思う?」

っていう質問をクラスのほぼ全員にしたけど

私は答えを聞く前に分かっていたよ

「ああいや、私以外は絶対シャイじゃないわ」

 

英語を使う必要性に迫られていないから

これは違う次元であたりまえの要因。

どんなに内向的な日本人でも、英語喋れなきゃくっていけないでやんす、

ってなったら喋れるようになるだろう。

仕事を選ばなければ一生英語を喋らなくても一切困らない日本人には

英語なんていらないのだ!!

 

・・・と

ここ数カ月考えてきたのは、こんな感じ。

 

今の私は「英語喋れるようになった?」と聞いてくる人たちにこういいたい。

あなたもいけば普通に喋れると思うよ、と。

 

日本語の英語教育は批判されがちだけど、スピーキングを無視してただけで

基礎のかためかた、文法知識の教育は素晴らしいと思う。

そんな充実の教育を、高校もいれれば6年間もみっちり受けれるんだもの。

 

あとは、やる気と能動性だけだ!

英語の知識が確実に日本人より少ない諸外国の若者たちがあんなに楽しそうに英語を喋ってるのを見れば

バカでもそれは分かる

 

なあんて

えらそうにかいてるけど

私はもう英語のコミュケーションに疲れちゃって

外国人との会話をおろそかにしている

 

がはは 私はコミュ障界のコミュ障!

そうかんたんに、いっぱい人としゃべりたい!

とはならんのさ!!

 

ということで、

私のように語学に向いてない性格の英語学習者のみなさん

一緒にこのいばらの道を歩き続けましょうね…