まえがみのニンニンニン

我が名はまえがみであり前髪である。書きたいことを書きたいように書いているのである。

プライドと想像力とリスペクトとかそういうこと

最近こんなアニメ映像を見つけた

youtu.be

 

1933年

第一次世界大戦第二次世界大戦の間くらいの時期の

アメリカのアニメーション

信じられない

言葉では表現しきれないほどの驚異的な技術とセンス…

これを初めて見た私が漫画表現の中だったら

泡を吹いて倒れているレベルである

 

これを見て、色々考えてしまった

この時代は、アニメ表現における前例(とその情報とそれを知る場所)も、技術も

(少しはあるのかもしれないが)

今と比べたら無いに等しい時代

 

なのにこれ

だからこそのこれなのか

 

ほぼ0→1の世界だろう

(ゼロから1をつくる)

 

我々が生きている今は、先人の成果物を、

みようとすればいくらでもみれ

みないようにしたっていくらでもみる

いくら「新しい」といわれるものでも

先人あっての「それ」である

 

これは自然な流れであり、そういうものなんだけれど、

ということは、

この、「0から1」の能力は、必然的に失われ

その代わりに、「再構築」「良いものを取り入れる」といった能力が

以前にはない形で強くなる

それもまた進化

(そして進化の中では何かが退化している)

 

なんてことを

考えた

 

このアニメのことを、映像の道で生きていた知人に見せたら

それに驚いてくれつつ

「こういう天才をそろえているのがディズニーとかそういうところなんだよ」

と言った

 

ふおおおおお、となった

アニメを作っている人の能力というのは、

「このアニメはすごい!」ということはなんとなく分かっても

その道にいなければ到底その正確なすさまじさが分からない領域

人生を通して映像CGに関わっている

その人の言葉に、説得性を感じた

 

このアニメを見て「すげえ」となった私も

結局のところなんもわかっちゃいない

 

ということがあったりして、

まあ、少し、話は変わるのだが、

凄さはもちろんのこと、

映像、アニメ、絵、文学、音楽、などの「作り手」の努力、苦労、思い

を、ほぼ作り手ではない我々は

なんとなくでしか感じることしか出来ない

あるいは、感じられない

 

なぜならそいうった「作られたもの」はたいていの場合

受け取り手にとって、(今の時代は尚更)

手軽に受け取ることができ

けれども生きるために不可欠のものではないというポジションの

あまりにも簡単に消費されるような代物だからだ

(あるいは消費さえされない)

 

「作り手側」の諸々は、消費者にとっては関係のないもの

(乱暴だが、時折それは楽しむことのノイズにさえなる)

何かを作ってるものにしか分からない、その気持ち

仕方ないことだ

 

飛躍しているけれど、いじめを受けたことがある人とない人の

気持ちが大きく違うように

人は、経験してないと、そっち側の気持ちにたつのが難しい

いや、正確にいえば、想像力を働かせられる人は、たつことはできる

(ただ、それがリアルかというと、ちょっと足りなく、やっぱり本人にしかわからないものるが)

全ての人が他人にはなれないのだから

想像力をはたらかせるべきだと思う

それは、私の個人的な意見である

 

えーと、なにをいいたいんだっけ

 

元の話に戻ると、

その「作り手の気持ち」

「作り手」さえも

忘れているのか、考えることを放棄しているのか、

そういう人もいたりして、とても嘆かわしいことだ

 

「社会的な自分」とか

「お金」とか

色々からんだりして

そりゃあ無視もしたくなる気持ちもわかるけれど

そんなときに

自分の良いプライドがあると、良いよな

 

「法にひっかかんないからパクれば金になる」

「社会的にそれを求められてるからそれをすべき」

とか、

そういう気持ちを抑制できるのは

自らのプライドしかない

 

「そんな自分、自分じゃない」とか

「(厳密に言えば)0からではないにしても)自分の作ったものと誇りをもちたい」

とか、

そういうプライドを

作り手が

持ってたらいいのに

 

持ってた頃もあっただろう

なくなってしまうのかなぁ

それもわかる

わかるんだけど…

 

 

自分を「作り手」だなんて思わないけど

自分を何かを作り始めたことで

何も作ってない人よりは、いくらか想像以上の何かを

感じられるようになった

(これを感じられるようになったのは、本気で何かを作ることをはじめて良かった、と思える一つの嬉しみである)

あと、

私の尊敬する「作り手」であるちかしい人が

AIのことを危ぶんでたり、パクリに対して敏感でいるのを、

間近で見ているのもあり

私もだいぶ想像力も働かせられるようになったと思う

 

1対1であったら

まぎれもなくある程度の相手へのリスペクトがないと

人間関係はなりたたないのに

「作り手」の顔が見えないからって

遠いからって

リスペクトを失うべきではないのに

 

 

綺麗ごとかもしれない

けど、

これは「あなたの感想ですよね」レベルのことだけど

私は

「ある程度のプライド」

を持ってる人が好きだ

多少めんどくさい人間だとしても

そういう人じゃないと本当に仲良くなれない

(そのせいで変な人ばっかりになっちゃって結果離れることがい多いが)

プライド、は、こだわり、にも言い換えられる

 

良いこだわりを持ち、想像力を働かせられて、

人にリスペクトの心を持つ

 

そういう人に、私はなりたい