まえがみのニンニンニン

我が名はまえがみであり前髪である。書きたいことを書きたいように書いているのである。

つまるところ、経験則がじゃまをする

らあああああああああ

なみだのかずだけつよくなれるよおおおおおおおお

 

えっ

 

そう、そうなのおおおお?

 

どうも

絶賛経験が自分の邪魔をしているみそじおばさんこと、

まえがみです

 

(まえがみは、永遠の8歳だよ)

 

未経験のものならいいんだ

何も予測できないから

ただ飛び込むだけ

なんて楽なことだろう

それで何度色んなものに飛び込んできただろうか…

突拍子もなくきめたマレーシア滞在だって

そのいい例の一つである

 

(ああ、なにがまっているんだろうか!)

 

感覚と性格の問題なのだろうか

私は何かに涙したら、もうそこには挑みたくない、と思う

それを出来るだけ避けたいと思う

 

だから、仲たがいした友達にボコボコにされた(精神的に)経験から

そんなタイプの人だったらはじめから友達にならない!と思うし、

ありのままで私は生きるのよ!ってしてたら好きな人から嫌われた経験から

ありのままになんて出来ないし

色んな仕事をしてみたけど結局いやになっちゃう経験から

心を決めて就職できない(←今ココ)

 

でももしかしたら

怖いタイプの人と仲良くなったり、ありのままを好きになってくれる人が現れたり

いやにならない仕事に出会ったり

するかもしれないのにねぇ

 

ブラック企業に勤めてパワハラ上司に出会って

「よーし!この経験でもっと強いパワハラ上司にあっても大丈夫だぞ!」

って、

なる人いるんかなぁ

いるのかもなぁ

強いなぁ

 

経験することはいいことだ!

って皆口をそろえたようにいうけれど

そんなことないパターンも

あるっちゃあると思うのだよねぇ

 

(でも、あんな経験があったのに、何故またそんなことをしようとするのか!ということをしようとすることは、なくはない)

 

でも今の私は

全ての経験…記憶を全てとっぱらって

突き進んでいきたいものばかりが周りで踊っているような感じ

 

そこに「経験則」という壁がたっているような、そんな感じ

 

経験から得た教訓、

いっても、新たな人や状況だったら、違うパターンが待っている可能性だってあるのに

悪い予感は推測にしか過ぎないのに

 

経験則って、誠にやっかいである

しかしこれを超えねば、忍びにはなれない

 

未経験のものに挑みまくるのではなく

悪い経験の記憶がありながらもそれを超えていける

 

そんな強い人に、わたしはなりたい

 

まえがみ