まえがみのニンニンニン

我が名はまえがみであり前髪である。書きたいことを書きたいように書いているのである。

ご老人たちを見て考えた未来(悲観的)

人は、死ぬまで生きなければいけない。

「生き方」は自分で決める事ができても

「死に方」は思うようにできないのが現実である。(少なくとも日本では)

 

 

今回書く内容は重く、簡単には答えを出せない問題についてであり、

下手すると大火事になってしまうような内容である。

しかし、ちょっと考え込んでしまっていたので、自分の考えの記録として

吐き出すこととした。

悲観的内容であり、しかもこのためにこうしたらよいのでは?という現実的な提案もしないから、今にも死にそうな人は見ちゃダメだよ!

人が皆違う意見をもってて良いことだから。

何に関しても、私はこれで、あなたはこれ、押し付けなければOK道場。

 

※あ、あと、すごく長くなっちゃった!相変わらず読みにくいブログがこちらです!

 

 

先日、大きな総合病院へ行く機会があった。

待合室は大混雑。

平日だったということもあり、ほとんどがご老人。

歩くのがやっとの方、人に言葉を伝えるのさえ難しい方、

老々介護状態と思われる夫婦、身体のどこかが悪いのだろうが恐らく精神も病んでいそうな方……

こんな人々であふれかえり、私は目を背けられない現実を見た気持ちになった。

 

とくに、バス停で見た、「この人を一人にさせちゃだめだろう‥」と思ってしまうような、恐らく身寄りの無い、バスに乗るのもやっと、喋るのもやっと、やや狂乱状態のおばあさんを見た時、「ああ、未来の私の姿だ……」と感じ

泣きたい気持ちになった。(ていうか泣いた)

 

 

すすむ高齢化社会

(私の話は高齢化社会そのものに対する嘆きではないヨ!)

 

進化し続ける医療技術。

長い寿命は日本の誇るものの一つであるが、お金に余裕のある状態で、心も体も健やかに、死ぬまで生きれる人がどれくらいいるのだろうか。

 

2065年には、65歳以上が全日本人口の38.4%になる人口の到来が予測されている。

老人ばっか、というだけでなく、貧富の差が広がること、減少する年金、

子なし夫婦、生涯独身が増えているという現実をふまえると、

悲しい老後を過ごす人々が溢れると思わざるをえない。

 

しかし、日本人(世界もか?)が年々若くなってる感はある。

30年前のおじさんおばさんおじいさんおばあさんと比べ、明らかに今の人々は若々しい。

 

最近の若々しく元気な70代~を見ると、なぜかしらんが人間が年々若くなってるから案外大丈夫かも、と思うこともある。

ゴールドジムだよ!)

 

が!!

 

彼ら世代は、高度経済成長前に生まれ、逞しくこの世を生き抜いてきた最後の世代。

我々、いや私の世代のように、平均的に豊かになってから生まれ、偏食は許され、柔らかいものばかりを食べ、どんどん自動化している中で生きている、子供の頃から近視で猫背な身体も心も貧弱な人間(個人差があります)が、同じように活発な老後をむかえられるとは、到底思えない…。

 

自殺数は、若者の死因トップが自殺ということで若者の自殺が問題にあがることが多いが、全体を見ると、今の段階でも、50代以上の自殺が、全体の半数をこえる。

そして全体の動機のほとんどが、「健康問題」であり、その3分の1くらいの割合で次に、「経済・生活問題」「家庭問題」と続く。

 

金のない状態の今の私はつねづね、金がないと健康でいられない現実、を感じている。

今の段階では健康寿命は年々長くなっている傾向にあるが、貧困がひろがるであろうこの未来を思うと、たとえ世間では健康への意識が高まり、医療が発達したとしても、国の制度が大きく変わらない限りは、健康寿命はそのうちピークを迎えて落ちていくだろう。あるいは、あまりに平均寿命が長くなりすぎて、健康寿命は上がったとしても苦しい晩年が長くなるか。

(加えて、家族がいない、独り身である人々は、とくに誰かがいるから健康でいなきゃという意識もないし、忠告してくれる存在もいないので、その他の人々に比べ健康維持が難しくなる気もする)

 

 

と、ここまでは日本全体のことについて後ろ向きに考えみたけど、社会はなんだかんだいっていい具合に、(今と比べれば悪い具合かもしれないが)回っていくだろう…。

怖くはある日本の未来だけれども、やはりそれは全体のこと。

そんなことからぴゅーっと、冒頭のバス停で見たおばあちゃん、自分個人のことを思うと、恐怖はリアリティを増していく。

 

私は、日本社会の産んでくれぇぇぇという声に反し、今のところ、子供を産まない、という意志を持っている。

(相手がいるかどうかは別問題である)

 

正直いえば、子供は大好きだし、産めて育てれたらどんなにいいだろうか、と思うけれども。

それにはたくさんの理由があるけれど、一番の理由は、自分に子供を育てられる自信、いい母になる自信がないこと、自分の遺伝子への不安など、そういったところである。あと普通に、この世の苦しさが分かっていながら子供をそこに産んでしまうのはいかがなのだろうか…とか…かな?

子供が苦しんで生きる姿を見て大丈夫であろう自分があればよかったんだけれど。

 

将来子供が苦しまない、悲しまない、という保証があればいいが、あるわけがない。

そして、とてもじゃないが、自分の老後が不安だから、なんていう自分勝手な理由で子供は産めない。(子供をうむ、ってそういうものだからきにしすぎだよ!というでしょう。であれば、こうあまりに考えすぎている時点で、私には適正がない)

 

だから当たり前のように、子を産み、育てる方々は凄いなぁと思う。自分に、未来に、ある程度の当たり前の自信があるんだろうなぁと。

これは嫌味ではない。人間的にも、社会的にも、生物的にも?立派なことだと心から思う。畏敬の念をいだいてます。これはまじで。

 

と、するとだ。自分が子を産まないで単身のままでいる未来を描いてみると…。

普通の人々が子供の成長を喜び、孫が出来たのを喜び、はたまたそこらへんから広がる血縁の輪!!!!!

…などのイベントが丸丸ない訳なので

それはもう●●な人生である。

(ちょっとここに当てはまる言葉が思いつかなかった!いい言葉ではないようん!)

 

とはいえ、元気なうちはまだいい。観光したり、知人と酒を飲んだり、ライフワークに一生懸命になったり、色々あるだろう。

しかし老人になるにつれて、健康も気力も失われていくわけだ。

そんな中で、普通の人の場合一筋の光のように存在するのが、「子供」や「孫」なんだろうが、それが無いとすると……どうなんだろうか。

 

両親はとうの昔に死に、ヨボヨボになり、社会のお荷物、という自覚を持ち、明るい気持ちをもって生きていけるのだろうか???

それにさらに金もないとしたら…。オオオオオ!!閲覧注意って感じだな!!オイ!!

 

老人になることで今の抜群の感受性も衰えて、フガフガしてたら楽かもしれないけど。

そうなっていない老人もいることを考えると、、、オオオオオ!!!

 

(これは理想図)

 

 

こういう未来と、子供を天秤にかけるけど、

やっぱり、そんな未来がいやだから、という理由で子供は産めない…。

 

 

子供はいなくても、パートナーがいればいい??

そうだねえ、それはそうかもしれない。パートナー、できるかなぁ。

そんな人が、死ぬまでいたら、いいよなぁ。

 

 

ああでも、あれだよ。今書いていることは、今思っていることであり、

明日、優しくて、面白くて、知的で、私を一途に愛してくれるような、従順なタカを右腕にのせてる石油王が現れたら、おおおおこの人の遺伝子残したいいいいいいってなるかもしれないし、コロっと私の意見なんて変わる可能性はある。

人の気持ちは恐ろしいほどみずものなんだよなァ…。

 

 

で、そんなこんなで、石油王のくだりはさておき

だからこそ、この悲観的な未来予想図をもってるからこそ

私は元気なうちに、色んなことをしたいし、色んなことを見ておきたい、という気持ちから割かし今を全力で楽しんでいる。

未来につながる何かを、必死で探している。

から、そんな悪いものではないんだ。今は。

 

でもね、こう未来を悲観的に考えた結果、やっぱり考えてしまうことは………

 

 

……おっと、つまらん内容であるにも関わらず文章が長くなってしまったぜ。

あまりの悲観ぷりに人々がドン引きするまえに(too late)

このくらいで今日の記事は切るぜ。

 

次回、まえがみニンニンニン

「悲観モードのまえがみがつい考えてしまうアレ」

 

です!!!絶対!!見てくれよな!!!

(見なくてもいいよ!)