まえがみのニンニンニン

我が名はまえがみであり前髪である。書きたいことを書きたいように書いているのである。

人生文庫

「人生文庫.com」

最近話題の、成功者でも有名人でもない凡人の人生を、一作の伝記のようにして、さらに、それを誰にでも読めるようにしたサービス。

神田の中小企業で働き始めて早30年。足が浮くほどの朝の満員電車ももはや、人生の一部といっても過言ではないくらい、東京のサラリーマン生活に適応してしまった男、車田喜朗は、長らくそのサービスの読者だった。

 

喜朗は、地元である長野から、大学入学のために上京し、当たり前のように卒業、今の会社へ就職し、都心部駅徒歩10分圏内の高い家賃を払い続けるための如く、一心不乱に仕事と向き合い続けてきた。過ごしてきたのは、特別な趣味もなければ、恋愛の相手にも恵まれることのない、ただ生きるために生きるような人生。

 

そんな喜朗にとって、人生文庫に残る作品たちは、刺激と感動を与えてくれるものだった。

人生文庫の理念は、「かぎりなくリアル」である。

なんとなく、自分の人生を振り返りたい、だったり、記録したい、と思った主に何の変哲もない一般人が、「エディセラー」(エディターとカウンセラーの造語である)と呼ばれる、人と物書きをつなぐ架け橋となる人間と長時間対話を重ね、自分の過去の出来事や、その時その時の思いなどを、あらわにしていく。

人生の流れがある程度で揃った時、そこで作られた資料と、映像は、専属の物書きに渡され、読みやすく"伝記化"される。

あくまでも「事実」にこだわっているため、記憶が曖昧すぎる部分や、創作の割合が多すぎる場合は、その場所その場所丁寧に、「※事実と大きく異なる場面が含まれます。 ※30代については記憶曖昧のため脚色多くあり。」などと注意書きがされている、という徹底ぶりだ。

 

あまりに色の無い日常を送ってきたためか、喜朗は世に溢れるフィクションに、全く興味がわかなかった。あまりにも「つくられ」すぎて、没入感が得られないからだ。

しかし、人生文庫は違った。あまりにも生生しかった。

 

人生文庫は、一人生、一人生ごとに、たくさんのタグ付けがされている。「#前向き #後ろ向き」といったその人生の主人公の性格、性質から、「#東京のサラリーマン #一生独身 #自己破産 #悲劇 #成功」など、状態や出来事などでも分けてあり、色々な視点から検索が可能だ。

 

暇を持て余した喜朗が初めて読んだのは、「東京下町の母子家庭で育ち、苦労しつつも大学を卒業し公務員として働いていたが、ギャンブルにはまり借金を抱え、副業出来る仕事に転職し、過労で病気になる50代の男、田中紘一(仮名)の話。」だった。

デイリーランキングに乗っていたのと、自分と同世代の主人公だったから読み始めただったが、そのリアリティと、自分とは全く違う人生、主人公の感性に、喜朗は圧倒された。

 

田中紘一は現在も50代でまだ死んでいないように、人生文庫は完結していない作品がほとんどである。死ぬまで続けていこうという意志のある者の話は「未完」と記されており、途中で飽きてしまった者の話は、「終了」と記されている。熱心な語り手(エディセラーに自分の人生を話すもの。主人公となる人間。)は、自分の死までしっかりとまとめてもらえるよう、遺族に頼んでいたりもする。

 

語り手は、今現在は、40代~60代が多い。(その年齢あたりで、人は何かを悟るのであろうか)しかしながら、全体では10代から90代の作品まで、120万以上の「人生」が、発表され、更新されているということだ。

 

現在はブームであり、「読者」であることをアピールするこ著名人が増え、語り手も読者もさらに増え続けている。喜朗のように、ただ自分とは違う人生を楽しんだりする読者も多いが、創作や表現界隈の人間は、疑似体験することで自分の感性を育てたり、インプットのために利用することが多いようだ。とくに、小説家だったり、脚本家の中では、人生文庫は「物語界のPinterest」と呼ばれるほど、創作にフル活用されているという話はよく聞く。(すべてのその人生の流れを盗むのは、認められていない。あくまで、インスピレーションの元、軽いモチーフとしての利用が推奨されている)

 

語り手側はというと、ただ「自分の人生を振り返りたい」という者から、「伝記を作りたい」「死ぬまでに少しでも自分の生きた軌跡を残したい」という想いを持つ者、「この人生が誰かの役に立つのなら」という気持ちを持つ者もいる。

 

ちなみに、語り手はお金を払う必要もないが、得ることもない。読む側にもお金はかからない。読むことへのストレスにならない程度の広告と、寄付で成り立っているサービスである。

 

長いこと読者としてヘビーユーザーだった喜朗が、「語り手」になりたい、と初めて思ったのは、仕事の取引で、たまたま地元の同級生と再会し、遠い昔の忘れていた記憶が、次々と蘇り始めた時だった……。

 

(終了)

 

※この話は全て私が今なんとなく書きたくなった「超フィクション」です。

事実とは全く関係がありません。

 

 

わたくしまえがみは、人嫌いの、人たらし。

他人の今までの人生の話が、とっても好きで、居酒屋なんかである程度年齢を重ねた方と出会うと、求めずとも自分の今までを話してくれるもので、そんな時間が、けっこう好きだったりします。

 

でもきっと、人には誰にもそういうとこがあって、だからこそ、人の生活や感じ方を垣間見れる(やりすぎなところもあるが)SNSが流行るのではと思います。

 

普通の人の人生。「自分の人生は普通」と思っている人でさえ、

自分とは違う、多少なりともドラマチックに感じられる人生を生きていて、

それが好奇心をそそります。

 

大学生の時、経営学部だった私は、成功者の本を色々読む必要がありました。

それそれでとても楽しく、そういう楽しさを感じるために、経営学部に入ったと言っても過言ではない!が、居酒屋でバイトし、たくさんの人と話す中で気づいたのは、

別に成功者の人生じゃなくても、普通の人の人生もなかなかの刺激になるし、面白いし、学びもある、ということでした。

 

そんなこんなでいまにいたり、最近なんとなく妄想していたサービスが

「人生文庫」

 

設定をちゃんと考えてみたらどんな感じになるかなぁ、と思って

書き始めちゃったのが、今日のこの記事でした。

あったら嬉しい人生文庫!ただのそんな妄想が、今日の文章でした。

 

はい、なんのオチもない、終わり時を失ってぶちぎった物語を、読んでいただき、ありがとうございました。

今日のテーマは「どんな人生も、あなたが普通と思っている人生も、人から見たら面白かったりする」ってことです。はい。(どうしようもない後付け感!)