まえがみのニンニンニン

我が名はまえがみであり前髪である。書きたいことを書きたいように書いているのである。

過去のそれを超えていけ

ズヒャアアアアアアアアアアアアアア

 

私はいま、英語をがんばっている がんばろうとしている

が、

音楽だけはなにかしらやってないとやってられなくて

それで

いちから曲作るのは英語がないがしろになるから、と

「分身そんぐ」

っていう昔の曲のリメイクをやっている

 

のだが、

 

やっぱり英語がないがしろになっている!!!

ああなんというシングルタスク人間!!!

 

まあそれはいいんだ…よくないけど…いいんだ…

 

で、またあの問題にぶちあたった

「一回完成した(クオリティはなんであれ、自分の中で終わったもの)ものをもう一度作り直す難しさ」

 

これは、去年のハードディスク故障事件で

(※ハードディスク故障事件・・・前髪は当時アルバムのための曲を作りまくっていたが、ハードディスクがお亡くなりになったため、バックアップしてなかった曲たちをもう1度作り直すこととなった)

心臓に穴があきそうなほど実感したことだけれど

本当に、本当に、むずかしいのである!!

 

前の良さをいかしつつ、現在の感性でいい感じに仕上げる…。

記憶だけしか残ってないならまだいいものの、そのモノが残っててしまうと

前のものを「正解」としてみてしまい、これがどうも、自由度を圧迫してくるのである…。

 

ああ、すごい…世の中のリメイクを作る人たち…ほんとにすごい…

いや、ほんとに、ほんとに、ほんとに、すごい…

自分のなんの権威も価値もないものでもこんななるのに、

名作のリメイクとか、どんだけ大変なことだろうか…

想像だけで吐き気がするくらいだぜ…ぼえぼえ…

(クソリメイク、と言ってしまうのはなんと簡単なことであろうか)

 

こう改めてこのことについて考えてみて

はっとしたことがある

 

これは…!!自分自身についてもいえるのではないか…!!

 

現在を生きている、と思っているはずが、なにかにしばられている

 

ああそれは、まぎれもない過去の自分なのではないか!!!

 

こいつが今の自分の自由度を圧迫しているのではないか!!!

 

過去の体験に縛られて違う方法や手段をとれないのはよくある話である

行動レベルだけではない

思考レベルでだ

 

今やっている作業では、それを打破するのは、

抜群の集中力と創造力と発想力だが

自分自身となると…

 

うーんむずかしいが

そうしないとずっと焼き増し

(焼き増しは同じように見えて過去をこえられない、というか、だんだんレベルが下がっている)

 

人の作品について「クソリメイク」とおもうまえに

今の自分が過去の自分の「クソリメイク」になっていないか

今一度考えていきたい次第だ