最近はわりかし人に会う機会が多く(奇跡)
ひとって興味深いなぁと思う日々である。
本当に人間ってば、いろんな人がいる。
顔も、中身も。
顔は、やっぱりみんなちがう。(あたりまえだ)
性格と違ってそこまで社会性に縛られないし、ほとんどはもって生まれたものだから、
わかりやすく、いろいろある。
(ヒゲ、化粧など、そういったものはあるけれど)
でも、そんな千差万別、誰一人同じものがない顔とおなじく、
中身だって、同じ人は存在しない。
社会的なものの影響が強く、普段は影を潜めている可能性があるが、
絶対にみんな違う。
これが、なかなか頭でわかっていても
捉えずらいもので、人は人をタイプにあてはめがち、
そして思い込みがちである。
出会ったことのなさすぎるタイプの人と出会うと、不安になったりする。
全然行動も気持ちも読めないからだ。
それがゆえに、壁ができたり、不信につながったりすることがあるが、
これもよろしくない。
知らないタイプの人と出会ったら、よりいっそう好奇心をフルに働かせて
その人に近づくと、新しい感性との繋がりと刺激によって、
より自分の感性が豊かになれるってもんである。
新しい自分がデビューしてしまう可能性も秘めてたりする。
(まあ疲れちゃうから無理しない)
ああおもしろき、人間関係。
時々あまりに作りこみがすごすぎて、本当の性格が見えない人がいるが、
別にちょっと悪くても、弱くても、変でもいいから
自然体でいてほしいなぁ、と思う。
面白さがないだけじゃなくて、気をつかっちゃうから。
(でもまた、本当の性格が見えない、というのも自分の思い込みかもしれないけれど)
ちょっと前に、人から「あなたは人とは違っていたい人だよね」
的なこと言われたことがありちょっと考えたが、
正直なところ、私にそんな意識はほとんどない。まじでだ。
ただ、普通にしているだけである。
釣りが好きな人が釣りをするように、ダイエットしてるけどチョコが好きな人がついチョコを食べちゃうように、お金について考えるのが好きな人がお金のことを考えるように…。そう考えると、全然人と同じである。
(ただし、表現活動だったり、気になる人と関係を深める時、会社の面接など、人に知ってもらう必要があるとき、意識的に自分を取り繕わないようにすること、より自然体でいようとすることはある)
でもみんなそうで、みんな程度の違いはあれど、自分の心が向く行動をしているだけだろう。好みが違うから、人から見たら色んな風に捉えられてしまうけれど。
いや、人から見た自分を意識することが、行動原理な人もいるだろうけど、中には…。
「個性的」っていう言葉も、おかしなことである。
本来、自分の心の向かう先、というのは皆違ってしかるべきだ。
だって同じ人なんて、いないんだもの。
ただ、こう私がこう落ち着いて考えられるようになったのも、最近のこと。
思春期のころなんかは、変わった人を変なひと、で片づけがちだったし、
自分自身も、周りの子のようにシールだの、靴下だの、キャラクターだのに
「かわいいいいぃぃぃぃ」って黄色い声を本気でだせない自分が嫌だったもんだ…。
浮かないように、皆みたいな女の子だったらよかったのに…って…。
(こういう違いはどうやっても埋まることはないんだ、と諦めた、といってもいいンゴねぇ)
でも、本質が違うところにあっていいんだなぁ、人は違っていいんだなぁ、と
思えたのは東京で色々な価値観の人に出会えたおかげかもしれない。
これもまじで。うん、そういう意味では、やっぱり東京はいいところ。
自然体で生きている人は魅力的だ。
だけど、だけど、
自然体でいても、人に迷惑をかけたり、傷つけたりするのは
ダメ中のダメだ。人への思いやりは、別次元で大切だ。その相手もまた、自然体でいてもらうためにも…。
完璧には、難しいことだけど、意識できてるかできてないかだ、大切なのは…。
また、素直な人は分かりやすい。ねっこが悪いか良いか、分かりやすい。
素直でいると人を傷つけちゃうタイプの人だったら、それは本性がくそったれなので、さよならである。
バイバイキーン!!!
ええと…なんだっけ。
そうそう、そんなこんなで、いろんなひとがいるなあ、って実感している現在である。
「私と小鳥と鈴と」By金子みすゞ である。
ヤッパリ人は、みんな違って、みんないい。