まえがみのニンニンニン

我が名はまえがみであり前髪である。書きたいことを書きたいように書いているのである。

ご老人たちを見て考えた未来2

やあやあ

昨日の記事「ご老人たちを見て考えた未来(悲観的)」の続きだよ

maegami.hatenadiary.jp

 

でもね、昨日一生懸命ながながとこれを書いてアップしたけど

その後ちょっと後悔しちゃったんだ…。こんなこと書かないほうがよかったって…。

でももう走り出しちゃったので、止まらないぜ!!

はじめたことはおわらす!これが私の忍道だ!!(大ウソ)

 

昨日書いたことを海外ドラマの各話の頭ばりにまとめる。

 

病院でたくさんの病んだ老人たちを見て、ご老人で溢れる今後の日本と、未婚子なしの自分の老後を想像して、落ち込み、頭がおかしくなっちゃったまえがみ。

そのように悲観的思考にとらわれた前髪が、最後に考えたアレとは一体!?

 

※昨日冒頭で注意しましたが、重く難しい問題であり、暗い内容、なので、閲覧は自己責任です!賛否両論も賛否両論です。あくまで私の頭をよぎったことなのでそのへんご了承ください。

 

今回の私は今までにないほど、熱いぜ!!!

やけどに注意、してくれよな!!!

 

 

突然ですが、以下、小説調。

ただの妄想からおこした物語なので、あしからず。

 

死にたい老人が死ねる社会がやってきた!話

 

時は20××…。日本は超高齢化社会。平成から危惧されていた少子化は予想通り、いや、予想を上回る速度ですすみ、2人に1人は65歳以上という社会になっていた。

医療は進歩し、寿命は伸びたものの、全国民の中で貧富の差は広がり、「老人格差」も大きくなっていた。

未婚の割合は当時から増え続け、都心部を中心に、独身老人の割合は急増。

オワコンとなったネット掲示板では、ほとんどが老人によるスレとなり、「死ぬまで生きる part.56」「健康寿命について本気で話し合うスレ」「介護士と気が合わないんだが part.4」「今年84になるんだがそろそろ逝っていいかな?」といったスレたてが目立っていた。

 

 

そんな時代、社会問題となっていたのは、ご老人の自殺。

令和3年当時は年間8000人弱くらいだった60歳以上の自殺がさらに増え、

一時期は●●●●●人に及んだ。

そうなったきっかけとなったのは、ご高齢の著名人による「とくに未来待ち受けてることももうないので、若者のために死にたい。死ぬ自由を、私は主張する」というはっきりとした意志のある自殺だった。

 

それが、健康に苦しめられていたり、金銭的に厳しいが働けもしない独り身のご老人の心を強く動かし、一大ブームとなってしまったのである。ネットで苦しまず死ぬための薬が密かに流通し、死にたい人が、死にやすい社会になってしまった。

とはいえ一昔前と変わらず、自殺は社会的にも宗教的にも重罪であった。

事態を重く見た政府は、「死」に関する法を変えざるをえなくなり、「安楽死法」が誕生することとなった。(根本的な福祉制度をなんとかしろ、という批判や、自死はどんな理由であっても認められるべきではない、という批判は、止まることがなかった。)

 

これは、従来強く検討されていた「尊厳死」とは一線を画した、死にたい人が、法で定められた中で死ぬことが出来る、という今までの日本国内ではありあないとされていた、新しい法である。

※「尊厳死」は、終末期の患者が、延命する方向をとらないことによる死である。

 

ただし、認められているのは73歳以上からとなっている。しかしながら、73歳以上であれば、どんなに健康であろうとも「死にたい」という本人の意志がありさえすれば、その意志の厳正なる判定の後に、病院の一室で、痛みなく逝くことができる。

そう、はじめて日本人は、年齢の制限はあるものの、「自分の死を死ぬ」ことが可能になったのだ。

家族のいるものは、家族との話し合いの時間が必須となっており、本人の意志が変わることも多かった。

しかしながら、この法で死を選ぶものは、大半が独り身で子供のいない老人だった。73歳以上、となっているが、多くは80を超えた人々であり、

病気や金銭的な理由からはもちろんのこと、「疲れたからもう死にたい」「長く生きすぎた」「人生できることはやりきった」といった感情の理由から、「死をもって社会に貢献したい」「新しい世代のために」といった社会全体を見ての死も多かった。

 

 

こんな社会の中で、もう一つ国民の間では大きな変化があった。

それは「宗教回帰」「スピリチュアルブーム」などである。

一時期は強く批判され、衰退していた事柄であったが、平成、令和初頭よりも格段に不安定となった社会で、「死」の存在が身近になり、一部の人々は精神の安定のためにもそれらの力を頼らざるをえなくなったのだ。

 

そもそも「自殺」が大罪であるキリスト教は、国内では衰退していったが、元々自殺を罪悪視していなかった仏教は、考え方が大きく変わったうえで、人々に頼られることになった。

 

仏教の考え方的には、元々自殺、自分を殺しても、地獄へいくかどうかは分からないものであったが、(死んだとして、その先が今より楽になれるという保証はない、という考え方はある)それでも、自死を選ぶ人々の中には、恐怖があった。

死ぬことにより、さらなる苦しみが待ち受けているのではないか、という恐怖。

 

そのような恐怖を救済し、前向きに死んでもらうために、いや、その名目で、金稼ぎをするというのが提供する側の正直なところであると思うが、言ってしまえば新しい「宗教ビジネス」がブームになった。

それが、「死後の地獄を出来るだけ避けるための新しい供養」である。自死が出来る病院と強く結びついた寺院の僧によるもので、ある程度は高い料金を取るサービスだ。それをすることで、死後の苦しみは避けられるとされ、自死を選ぶものは快適な死を迎えるためにも、それを利用する者が少なくなかった。(死ぬ前に残ったお金で買う最後の買い物としても最適であったからだという)

「全く苦しまないなんて胡散臭い」という考え方もあり、「あなたが10年苦しまなければならないところ、1年に減らすことができる」なんて(これまた胡散くさい)うたい文句でビジネスをしている組織もあった。

 

「スピリチュアル」に傾倒している者たちの間でも、自殺を悪、とはしないうえで、供養、や、お経ではないものの、「ヒーリング」や「宇宙のパワー」で、安らかに死後へと迎えるようなビジネスが流行っている。

 

このような日本の中で、はじめは国全体が批判しているといっても過言ではなかった「安楽死」だったが、次第に認められていき、「安楽死」という選択は、老人の存在の負担が問題視され続ける日本にとって、推奨されるものとなっていくのであった…。

 

おしまい

 

 

 

オオオイイイイイなにをかいているんだわたしは!!

いいのかこれ!!いいのか???

わかんないけど、こんな想像が広がったので、書いてしまったよ!!

 

なんだよ「死後の地獄を出来るだけ避けるための新しい供養」って…。もっとかっこいいいい方があったんじゃないのか…。

 

で、こんな未来はないにしても、私の考えとしては

自死」という選択肢はあってもいいんじゃないかなぁって。

だって身寄りもなく、働けもしない老人が

「ぷぎゃあああああ!わしはもう生きてても仕方ないんじゃああ!国の金でかろうじて生かされてるだけで、もうなんの意味もないんじゃあ!!」

と泣きながらに訴えていて、その考えを変えるように、諭せますかね?諭す理由もありますか?宗教的に悪だから、自殺はいけないことだから、って、納得できる理由ではないよねぇ。

 

私がこれでいいたかったのは、私はこのような「安楽死法案」だったら

大賛成だ!!!!ということでした。

(いやあ燃えそう…こわいこわい…煙のにおいがするぜ…)

 

あ、未来のある若者が自死を選ぶことは、全く良いことではないです。

それは断固阻止したい。若者は死んじゃだめだ。若者の場合は、その苦しみから救済できる可能性があるから。だめ。

なんだけど、助けられない現実は、仕方ないかなぁともおもっちゃう。

人の苦しみって、どんなレベルであっても他人は絶対に図れないから、否定なんて容易く出来ないねわたしは。

でも自分は、もし目の前に死にそうな人がいたら、死なないでもらえるよう、何とかしたいと思うし、なんかするだろう。それが老人であってもね…。実際はそうなんだよ。実際は…。

 

 

 

ここまでずっと悲観的に未来を想像してきたけど、(いや、自死の選択は、そんなに悲観的なものでもないんだけれど)

まあそんな未来にならないように、今できることをやっていかなきゃいけませんね!!!

 

あと、どんなに重い問題であっても、悲観的であっても、

考えること、自体が大切だとおもうの。

 

日本人は全体的にホゲホゲしてて未来のことまで考えが及ばない人が多い気がするけど

こう、独り身はともかくとして

子を持ってる方は未来にいきてるものがいるわけなので、その人たちのためにも

考えてほしいなぁと思う、他力本願な自分である。

(だってズッコンバッコンして子供つくっておきながら日本の社会、政治、これからに関心がないってひどく無責任じゃない??)

まあ子に、子孫に、そこまで愛がないのなら、それまでなんだけどさ。

 

独り身の人々?あー、なんとかして相手をみつけ、子を産むのが社会全体のためにはいいだろうけど、自分自身、とか、愛する人じゃなくて、日本のために社会、未来を考える、って、むずかしいよねぇ。そんな侍じゃないよねえ、現代人は。

(自分にあまい)

 

 

あ、2013年のものだけど、ビートたけしの面白いインタビューを見つけました

www.dailyshincho.jp

 

「姥捨て山を復活させろ!」

これ、いい!!!たけしさんの考え方、やっぱいい!!!!

どこまで本気かは分からないけど、そのウィットにとんだ感じも含め、

「75歳からは医者にかかっちゃいけない、という法律を作った方がいい」

とか最高だ。

 

 

ようし、悲観的内容からはじまった内容だけど、前向きな気持ちになってきたぞー!

自分の未来のために、がんばろーっと!!

元気・やる気・努力・思いやり・まえがみー!!

まずはほぼニート生活を脱してだな…(レベルがひくい!)

 

 

あー!あと言い残したことがあった!

 

前から思ってたけど、病院のご老人を見て、さらにその気持ちが大きくなったこと。

切実な願い。

 

お金のため、であっても、お金がある人のみ、であっても、

介護職の人たちが日々様々なご老人のために尽くしていて

少しでも悲しいご老人を救っていることって、

本当に尊く素晴らしいことであって、素晴らしい仕事だと思うから、

たのむからお給料をもっともっとあげてほしい、といつも思う!!

 

そう、

介護職の人たちの給料をあげろおおおおおおおお!!!!

(大事なことなので大見出しを使って書きました)

(大事なことなのでもう一度フォトショで書きました)

 

私は求人を見るのが趣味なんだけど、その見合わないであろう給料に

キイイイイイなぜだあああと、タウンワークをにぎりしめているくらいだわよ!

 

肉体的にも精神的にも本当に大変な仕事なのにね。意義があるほんとに。

だから実は私もその道を昔から考えていたんだ。

ちょっと今の段階では自分の性質から自分が潰れそうだから無理か、と落ち着くけれど。

 

あ、でもでも月収50万くらいにあげてくれてブラックじゃなければ本気で考えるよ
(結局金!!!!!!)

 

 

 

 

ぷぎゃあああああまた長くなってしまった!!

ただの妄言にお付き合いいただきありがとうございました!