まえがみのニンニンニン

我が名はまえがみであり前髪である。書きたいことを書きたいように書いているのである。

記憶おばけ

Give me!!最近は何だか睡眠障害をこじらせぎみー!

のまえがみだよ。

 

脳だか心だか。

なんなんだかよく分からないが、私の頭の中は多重な構造になっていて、

何か思ってるやつを、また何かが見ていて何か思う、そしてまたそれを感じた何かが何かを・・・って

ややこしい感じになっている。

なんていうのかよくわからないけど。

 

そのため、疲れきってる時でないかぎり

寝つきの悪さが際立つ。

元から寝つきが悪いのだけど、その頭のシステムのせいで

「今日はどのくらいで寝れるのか!寝れないのか!」という気持ちが潜在意識にあり

うとうとっ、とした瞬間に、それを見つけたどこかの意識が

「おおおおー!うとうとしてるぞー!お前うとうとしはじめたぞー!シャンシャン!」

って騒ぎだして、また寝れなくなったりする。

本当迷惑な話である。

 

そして寝れないと、まるで死の直前かよ!って突っ込みたくなるほど、

過去の記憶が色々と蘇ってくる。

大昔の過去から、直近の過去まで。いろいろと。

 

そんな毎晩を過ごしていたら、「自分の記憶」について今一度考えてみよう、

と思ったので、ここに書きながら、考えてみることとする。

 

私は勉強のためだったり、どーでもいいことへの記憶力は良いとはいえないが

自分の感情の動いた経験の記憶は、遺伝子に刻みこんでやがる!ってレベルで

すこぶる良い。その時の気持ちやニオイも、しっかり記憶してたりする。

(もちろん年月と共にその彩度は落ちていくが)

 

でもそれはなぜかっていうのを自己分析すると、

何かが起きた時に、その後何度も何度も記憶として反芻してしまうからだと思う。

これはもう、私の特性のようなもので、物心ついた時からそうだ。

「昨日こんなことがあったなぁ」から「5年前こんなことがあったなぁ」と

永遠に思い返しているもんだから、

記憶は、思い返さない人よりも鮮明に残り続ける。

 

そんな機能が備わっているために、私は多分普通の人より、幼稚園の頃や小学生の頃を

昨日のことのように感じている。その頃について、「子供の頃」というより

今の自分と地続きの、「ちょっと前の自分」に感じているのも、そのせいだろう。

とはいえ、懐かしまないわけじゃない。めちゃくちゃ懐かしむ。

 

この、「懐古厨」め!!!!

そうだよ!私は懐古厨だ!!

 

だけど何も、昔はよかった、とか、昔に戻りたい、とは思わない。(人生全般に関しては)

記憶は良いことだけでなく、悪いことだって覚えているから、確信を持って言える。私の人生の中で、一番自由で、一番楽しくて、一番幸せなのは、今である。今が最高である。

(ただ、懐かしんでウルっと来てしまうことは正直よくある。)

 

しかしながら、なぜ、「過去や未来なんてなく、本来あるのは今だけ」、という考えを頭で持ちつつも、起きたことを反芻し、記憶に焼き付けてしまうのか…?

 

 

最近、人から、「この主人公!まえさんぽいんですよー!あげます!」と言って本を貰ったから、読んでいる。

西加奈子さんの「ふる」という小説だ。

 

この主人公、「池井戸花しす」が私に似てるのかどうかはどうだかわからん、が、

印象に残る一節があった。

 

彼女は、日々の何気ない人との会話を、こっそりICレコーダーに録音し、その夜に何度も聞く習慣があって、その行動への解説は小説内であまりされてなかったのだが、

最近読んだ章で、こんな心理描写があった。

(その日の職場の会話を聞いている時)

 

”この空気は、今感じているこの空気は、実はもう過去のもので、もうここには存在しないのだ。「今」は、刻刻と動いている。過去の「今」を聞いている「今」も、もうここにはないのだ。自分は次々と新しい「今」に身を浸している。それは避けられない。過去の「今」を忘れてしまうのは、だから当然ともいえる。でも花しすは、そのことに、わずかでも抗いたいような気持ちだった。自分が確かにいた過去の「今」を、少しでもこの「今」に、とじこめておきたかった。”

 

読んでて強く惹かれるような、そういう小説ではなかったものの、ここにはちょっとグッとくる自分がいた。間違いなく、私もその思いを持っている、と思った。

だから何だと思う。私はICレコーダーはもちろん、なんでもかんでも写真や動画に残そう、とはしないけれど、こんな気持ちが確かにあって、

だからこそ、記憶を反芻してしまう。

簡単に言ってしまえば「懐古厨」なんだろうけど、

私はこの「今」が「今」じゃなくなること、「無常」なことに、

とてつもない寂しさと、美しさと、面白さ、を同時に感じている。

とても楽しい記憶があるために、悲しみに落ちたりすることもあるけれど、

結局のところ、その悲しみを感じていたい自分がいるんだと思う。

時が流れる寂しさと、生きてる、って面白味を感じて。

 

 

しかしながら、記憶はおばけである。

楽しい記憶だろうと、悲しい記憶だろうと、とらわれすぎると、ろくなことにならない。あの頃はよかった、から抜け出せなくなる要因になるし、その時感じた悲しみに、ひきづられることだってある。

なかなか辛い瞬間が、よくある。

 

時は記憶を薄くしてくれるが、それにはやっぱり確かな時が必要で、

「忘れよう」「思いさないようにしよう」って思えばそのとおりになるほど、頭は自分で操縦できない。

(そんな時、頭と心って別々にある!って感覚になったりする)

 

忘れっぽい人だったり、気分転換が上手な人だったり、考え方だったりとか、記憶の処理が上手な人もいるだろう。

私は心底そういう人が羨ましくなることがある。

 

けれども、羨ましがっていても仕方ない。これは性質であるからして、

過去を大切にできる、あたたかい人間である。

無常の切なさと美しさを感じられる得な人間である。

と思い込んでいくことにしている。

 

こういったことから生じる行き場のない感情が、

私を詩や音楽に向かわせる。

それならば上手く利用していこうではないか!!

 

ということで、これからも記憶お化けと上手く付き合っていきつつ

今を楽しみたい

まえがみでした。