まえがみのニンニンニン

我が名はまえがみであり前髪である。書きたいことを書きたいように書いているのである。

「サブカルで食う/大槻ケンヂ」を読んで

最近は何故か本をよく読んでいるまえがみ。

ということで今日は本の感想と、それに付随するアレコレだよ!

 

サブカルで食う 就職せず好きなことだけやって生きていく方法/大槻ケンヂ

 

私は別にオーケンのファンでも筋肉少女帯のファンでもなんでもない。

サブカルで食う」なんて胡散臭い感じがする。

けど知人が「マエさんこれ読んで!」と突然貸してくれた2冊の中の1冊なので読みました。

 

結果この本は、サブカルで食うためにはどうすればいいか…。というハウツー本ではなく、その皮をかぶって売らされた大槻ケンヂさんの自伝的エッセイでした!

彼の文章を初めて読んだけど、軽快で読みやすい書き方をする人でした!

面白かったよ!

 

大槻ケンヂさんがどんなふうな時代を生き、どんなふうに音楽をはじめ、どんなふうに今に至るかが書いてある。その時その時、そして売れっ子から過去の人になる時の心境などもがつづられ、そして一応、サブカルで食いたい!と思ってるような若者への「応援メッセージ」などがこめられている。

 

興味深かったのは割としっかり説明されてた時代背景(サブカル側の)。

 

 

私自身が長いことチョロチョロしていた東京の地下バンド界隈は、大槻ケンヂさんの同世代くらいの方も多くいて、(大槻さんは1966年生まれ)

私はこの年代の音楽界隈の人たちとお話するのが好きだった。

 

なんか、感度ビンビンの10代、20代を70年代、80年代に過ごしてきたこの世代の人たち特有の、

今じゃ「サブカル」って言葉にまとめられてるようなことを、

時代の流れにそって色んな角度から体感し、体験し、得てきた感じ、色んな文化があわさった、複合的な感じ。

それを聞くのがワクワクして好きだった。

 

だから、こういうラジオがあってー、とか、こういう雑誌があってー、こんな音楽があーだこーだ…みたいな話をいっぱい聞いて、

なんとなく、(私の世代とは違う、たぶん今の若い世代とはもっと違う、文化への関わり方から)

こんな時代だったんだろうなぁ、っていうのがおぼろげに感覚として私の中にあったけど、

それを文章ではっきりと確認できた気持ちになれた。

 

情報を得る手段が、今じゃ想像できないほど少ない時代。

サブカル」っていう言葉が無くて、それらはまだ「アングラ」で

そっちに心動かされる若者たちが、とにかく貪欲にその情報たちへ手を伸ばしていった時代から始まり…

既存の音楽から派生していく色んな音楽、ブーム、ファッション…

文化も世界も人々も今のように飽和していなくて、でも全てが手探りで、

ちょっとカオス。

 

それは、とても遠いようで、今に限りなく近く、サブカルが今の状態になるまでの直近の過程の時代なので、

私にとっては、そんな時代を生きていた若者(当時の)の話はとっても魅力的なのだろうなぁと思う。

(90年代の方が近いが、私の感覚では90年代は近すぎて既に飽和に向かってる感が強い)

 

 

そんな時代感、その当時の彼の感覚の分かるこの本で、心に残った部分をふたつ。

 

サブカルで生きていくための条件は「才能・運・継続」。この中で誰でも自らの力で出来るのは継続である。

時代と生き方の中でそれを体感してきた大槻さんの言葉だからこその、納得できる一言。

 

・プロのお客さんにはなるな。

サブカルな人になりたい、と思ってライブや映画や本などに自己学習として触れまくってると、それを受容することばかりに心地がよくなって、プロのお客さん化してしまう。

いろんな映画を見た、で終わってしまうのではなく、そこから自分なりの表現としてアウトプットしていくことが大切。(自己表現をして生きていきたいのであれば)

これは刺さる。本当そうだな、と思った。

 

 

あと、巻末では、ラッパーのライムスター宇多丸氏との対談が繰り広げられており、

これは正直、上の世代から見た「今の若者はこうだよなぁ」っていうオヤジの説教みたいな感じなんだけど、まあ分かる、という部分があったので、そこも振り返りかつ戒めとして抜粋しときます。

 

・自分の好きなもの、携わっているジャンルの底上げを、自分が動くことによって出来ないか、という気持ちが大事。(大槻)

 

・過去の知識と継承っていうことを、それなりにリスペクトしている人たちがサブカルの人って感じ。今の即物的なオタクたちのように「好きなものが好き」なだけではない。(宇多丸

 

・懐かし話や世代論がサブカルだと思っているバカがいる。(宇多丸

 

・(サブカル好きっていう若い子に何か作品を教えても、「分からなかった。ささらなかった。」って帰ってくるだけのことが多いという話題で)

眠くなっちゃったけど、それでもいいとこを探そう、という謙虚さがない。(大槻)

今の即物的なオタクの人たちは、結局ズリネタを求めているだけである。自分のチ〇コがたたないのはそいつが悪い、という発想。「俺はこいつで抜けるようになるのだ!」という確固たる覚悟をもってのぞむべし!(宇多丸

 

いやあさすがはラッパーの宇多丸氏。

キレキレである。

とくに最後のやつはいい表現だな、と思ったので心に残ったよーーーん

 

※書いた文章はやや短くまとめてるため原文そのままではありません。まあほぼそのままだけど、誤解なきよう。

 

 

このように良い言葉、良きご意見もたくさん書かれている本書でしたが

サブカルサブカル言ってるのがもはや古いな、、と感じたのでこの本の刊行日を見たら、それもそのはず。

2012年!!

 

かのサブカル映画(大戦犯)モテキなどが公開された直後で、世は平成大サブカル時代!!

多くの若者が「サブカル!ヴィレバン!おれの趣味最高!」っていってたあの時代でした。

(言ってない)

いやあ、時代は変わっていくものですねぇ。

 

当時の私はというと、その多くの若者のどんぴしゃ世代だったが、そのやっすい「サブカル」という言葉に違和感を覚えていた。(っていうかサブカルってなんだよ、って思ってた。今もそのジャンルわけのいみ、正直わからん。)

その反面、サブカルのサの字も会話に出てこないけど、まさに大槻ケンヂ世代のおじさんたちとたくさん会話し、その話に心をときめかせまくっていた(から人生がちょっと狂った。)

 

それから時代はまたもや大きな変革期を迎え、

当時サブカルよりだったものはよりカジュアルな存在になり、

好きなことをして生きていく、のが「サブカルで生きる」というよりは「ユーチューバー!SNSインフルエンサー!」という感じが強くなった今、大槻さん、そして宇多丸さんは何を思っているだろうか??

 

また新しいエッセイがあれば読んでみたいものである。

Sex pistolsのジョンライドンばりに「サブカルは死んだ」と言ってほしくもある)