まえがみのニンニンニン

我が名はまえがみであり前髪である。書きたいことを書きたいように書いているのである。

日本古来の信仰について2

先日書いた

maegami.hatenadiary.jp

 

これの続き!

読みやすく理解しやすくて目から鱗がポロポロおちた

社会学者の橋爪大三郎さんのこの記事の

www.nippon.com

読みにくく、理解しにくい要約の続きだよ!

 

前回のは、ヤマト政権下において行われた、「アマテラスを祖とする集団のみ、祭祀権や統治権を独占」「他のカミガミがアマテラスに従属し、調和的に存在する神話を編成する、という、他の神を祖としてた集団との同盟が成立する」

まで書いた。

今回の歯その後の内容となる。

 

神道(大昔の日本)と仏教の死生観の違い

・仏教以前の日本人の中には、「穢れ」の概念があり、死者は死んだらどこか遠くへ行く、(地の底や、山、海の彼方、など)と漠然と考えられていた。仏教の輪廻の概念はない。

・死んだ祖先を「カミ」として祀るのは日本独特。人は死んだらどこか遠くで「穢れ」をおとし、カミのようなものになる、と日本人は考えていた。

 

・一方、仏教では、人は輪廻しつつ成仏を目指す修行をしているものと考える。死んだ人間はすぐに、再生し、また違う人生を生きるという考え方。そこに死後の世界や霊魂はない。

 

と、このように全く違う死についての概念を持つ2つの信仰。

こんなに違うのに、なぜ仏教は日本で広まることができたのか・・・。

 

平安時代に、「本地垂迹説」という、日本のカミガミはインドの仏や菩薩が姿を変えたものだ、という主張が生まれる。→それが鎌倉では一般的な考え方になる。(仏=カミ になってしまう)

・そして江戸時代のおわりまで、仏教と神道、カミと仏を厳密に区別しない時代が続いた。

・死ぬ→極楽に往生→成仏という教えから、人は死んだら仏になる、という観念が広まる。

 

こうして日本人の平均的な死生観が作られた。その内容は、

・死んだら霊魂になり、しばらく彷徨う。

・その後三途の川を渡り、あの世へいき仏(か、カミ)になる。

・現世に執着や怨念があると成仏できず、幽霊になる。

・悪き者は地獄へいき、鬼やエンマ大王に苦しめられる。

・盆には死者が家に戻ってくる。

・祖先には戒名をつけて仏壇にまつり、線香をあげる・・・などなど

 

だが、よくみると仏教でも神道でもなく、矛盾もある変な感じになっている。

 

江戸時代から明治にかけて(キリスト教禁止から神仏分離、そして国家神道

・江戸時代、幕府はキリスト教を禁じ、日本人全員が仏教徒になることを強制。→檀家制度ができ、家は近くの寺に登録させられる。

・いろいろあって、幕末から明治維新にかけて、本居宣長の弟子であり、神道を研究していた平田篤胤「人間は死ぬと、仏になるわけでも黄泉にいくわけでもない。霊となる。その霊は穢れなき英霊(すぐれた霊)となり後世の人々をまもる。」と唱えた。

(これは、禁止されていた漢訳聖書を読み、キリスト教に影響されたといわれている)

 

・この考えが広まった結果、誰もが霊になるのなら、檀家とむすびつきがあるから葬式は仏教でやるとしても、それと無関係に、神道式で慰霊の儀を(戦死者にたいしてなど)やってもいーじゃん、となる。

・そこで明治政府の官軍は、この平田の考えを採用し、戦死者のための儀式を行うようになる。

明治2年には、国のために命を犠牲にした一般の人びとをカミとしてまつる、招魂社(靖国神社)を開設。

 

・平田神道靖国神社は、国家のために献身する近代的な国民を創出する効果をもたらした。その効果のためにも、仏教と神道は分離される必要があり、政府の指導で、神社と寺ははっきりと分けられることとなった。神仏分離

・そして明治維新とともに、政府による国家神道が誕生。

・文部省は「神道は日本人の日常にとけこんでいるから、宗教ではない」という見解をとって、国家神道を強制。

 

・死んだ人間はカミになる、という考えがまたポピュラーとなり、新しい神社が明治以降たくさん作られる。(明治天皇をカ祀る明治神宮東郷平八郎を祀る東郷神社など)

天皇を「現人神」としてあがめる「皇民教育」もすすむ。

 

第二次世界大戦後…

第二次世界大戦後、占領軍により国家神道」は禁止に。靖国神社は「民間の宗教法人」として存続。

・過去に死んだ英霊に守られている、だったり、人は死ぬとカミになる、といった考え方はその後も残り続ける。

 

 

(最後の著書の言葉)おそらく日本人自身が、自分たちがカミについてどのように考えているのか、意識できず、第三者に対して説明もできないに違いない。自分たちが何を考え、何を信じているか自覚する。日本人のいまだに果たされない課題である。

 

出典:日本人にとって神(カミ)とは | nippon.com

 

 

日本人の信仰、そして死に対する考え方も、だいぶ国家や権力によってふり回されていることがよくわかる。

とても興味深かった。

そしてその歴史をへて、(その結果かなんなのか)現代の日本人の、日本人特有の、「信仰はないともあるともいえない」感じが出来た。

それはよくもわるくも言えないが、私はたくさんの良き日本人の、宗教にしばられているわけではないのに、正しき行動をする、という感じが大好きだ。それは世界中を見れば独特でありながら、未来的な進んだ感覚でもあると思うから。

 

でも、だからこそか、事件なども多いことから、同時に宗教自体(その行いについてではなく)を頭ごなしに否定する日本人もいたり…。正直それはそれで、おいおい、と感じる。

 

人は自分ではどうしようもないことに直面している状態であると、信仰へ向かうものだと思う。そうしないと、精神を保つのは難しいから。

(自分の行動とは関係なく、明日にでも死んでしまう可能性があるのなら、もう、いのるしか出来ることはない)

 

昔は死は今とは比べられないほど、死はどの人にとっても死が近いものであったから、信仰は当然のものだったのだろう。

 

つまり、宗教を否定できる、ということは死が生活からとんでもなく遠くなったということであり、平和な証拠なのである。けれども、

死が遠いということは、生きているリアリティもない、ということ。

信仰が必要でないのは、一応安定した平和な国と世に生きているからこそである、

ということは、肝に銘じておきたい部分だ。