まえがみのニンニンニン

我が名はまえがみであり前髪である。書きたいことを書きたいように書いているのである。

自分のアレな性質に振り回されたとき、ヒカルの碁のあの話を思い出す話

ビシビシしてて

ビヨビヨしてて

ホワホワしてて

ガシガシしてる

 

まるで20面体ダイスのような自分でもつかみきれない自分の性質に

振り回されることがある

 

極端にいえば、自分の中に同時に正反対の感情があって

どうにもできない、し、違う部分の自分が自分を見下してるような

そんな状態である

 

それでよくうわああああああ

って一人でなるのだけど

そんな時、そんな状態で目の前のものに集中できないとき、

毎度思い出す、大好きな名作漫画の、1シーンがある

 

その漫画はこれだああああああ!!

ヒカルの碁

恐らく人生で一番読み返した漫画。

子供の時読んだ少年漫画は多々あれど

大人になってからも何度も読み返してしまったのは

これと、ハンターハンターくらいかもしれない……。

 

 

言わずもがなだが、この作品を簡単に説明すると、

「ただのやんちゃな小学生だったヒカルに平安時代碁を生業としていた藤原佐為という幽霊が取りつき、色々ありながらも、彼自身が碁の技術を身につけ、囲碁部、院生(プロなりたいレベルの高い子供たち)、プロ棋士として成長していく物語」

 

この作品の、ヒカルが院生になった時に知り合う、「伊角さん」という年上の良き先輩であり、友達。

彼は院生1のレベルで、プロになりえる力を持ちながらも、精神コントロールが苦手で、一年に1度しかないプロ試験を、あとちょっとというところでいつも逃してしまう。

 

主人公ヒカルがプロ試験を無事突破した時も、なんやかんやあって、心を乱し、プロにはなれなかった。

そのあと彼は、初めは違ったが、修行として、中国の棋院(プロが碁を打つ場所)に泊まることになる。

そこで宿の同室になった中国の日本語を喋れるプロ棋士ヤンハイとの会話。

 

それをいつも、私は自分がうわああああとなった時に思い出す。

 

それが以下である。

 

ヤンハイ「キミがまだプロじゃないということは聞いたけど、
    力が足りないとは思えないし、
    去年のプロ試験はどうだったの?」

伊角「人の言動に、心が乱れて、
     対局中、大きなミスをし、自分を見失い、
     立ち直るのに時間がかかり、3連敗したのがひびいて」

ヤンハイ「心のコントロールがヘタなんだな。
    周りの目も耳も、気にするな。
    幸い周りは中国語だから、何を言っているかわかるまい。」

伊角 「わからないことがあるからこそ、気になるんですが、
     オレの方見て、何か話してたりすると」

ヤンハイ「だから!!! 気にするなってんの!!!」

伊角 「?」

ヤンハイ「苛立ち、あせり、不安、力み、緊張、
    つきまとう感情にふりまわされるな。
    キミにとって1番大切なことだ。
    石だけを見ろっ!
    これは自覚と訓練で、できるっ!
    元々の性格なんて関係ない。
    修得できる技術さ、こんなもん」

伊角 (修得できる      技術!!?)
     (そんな風に考えたことはなかった。
      感情のコントロールが? 修得、できる?)

 

 

いい感じのコマわりと、あっけにとられたような伊角くんの表情が

ものすごい彼のあっけにとられた感、目から鱗が出た感を表現していて

素晴らしい一コマ。

 

それから彼は感情コントロールをだんだんと身につけ、実力を出せるようになり、

次のプロ試験を合格することになる……。

(こういったサブキャラの物語もしっかり描きすぎているのがヒカルの碁のすばらしさ)

 

こう日々現実を生きていると、そんなこと考えられないまま

起きたことにたいして反応して、を繰り返してしまうけれど

これを思い返すたびに

「感情のコントロールが…習得できるだと!!!?」

って私もなったりする

 

もちろん人に当たり散らすようなことは私はしないけれど

なんとかこの心の荒波をどうにかしたい、となった時

自らの感情を客観的にとらえて、

冷静になれたらなあと思うので

これはもう長年培ってしまった心のクセであるこれを

ちょっとずつ

ちょっとずつ

よくしていけたらなあと

思うのです

 

ありがとうヒカルの碁!!!!

ありがとう伊角さん!!!!

 

with ヒカルの碁への相当の愛

 

 

 

アレルギーをもってアレルギーをなおした話

春だ

やっと春だ

あまりに嬉しくて

その嬉しさを言葉にできないレベルである

 

私は暑さも寒さもとても弱いけれど、

その一方で夏は気持ち的には好きで、

冬は大嫌い

 

つまり、冬が大嫌い

 

10月くらいからはじまる「あああ、、、冬がくる、、、くる、、まじでくる、、、」

というのから数えると

5か月は暗い気持ちがあるため、

毎年のことであるが、

この、やっと長い冬が明ける時期が

たまらなく幸せなのだ

(今年は例年よりだいぶ早い気がするけれど)

 

しかし、世間では、この時期にたくさんの人が苦しむことがある

花粉だ

 

今年は花粉情報がボジョレヌーボー状態で、

花粉症の人は今、たまらない思いをしてるのではないだろうか…

(それか、これからか?)

 

私は花粉症ではないが、長らく何かしらのアレルギー性鼻炎だった

小さなころからだし、家族のほとんどがそれなので、

多分遺伝だろう

「花粉の時」とかじゃなくて、ほこりやカビ、や何かしらに反応して

年中ぐずぐず

ひどい時は鼻、というか顔中がパニックになっている日などが

よくあった

 

しかしながら今、私はそれをほとんど感じなくなった

 

それは、一体なぜなのか!!!!

 

誰かの参考になるかは分からないが、

どうして良くなったのか、

「多分、このせいなんじゃないだろうか」ということがあるので

書く

 

 

私は大学生の一人暮らしを始めた頃から、「げっ歯類」といわれる動物を

飼うようになった。最初はデグーというねずみちゃんである

(※素材です)

 

人によくなつくとってもカワイイ子

しかし、飼い始めてから、鼻炎がひどいことに気づく

 

最初はねずみアレルギーかな?と思った、けど

(いや、もしかしたらそれもあったかもだが)

エサやりをしている瞬間が一番ひどかったため、原因はエサにあるとみた

 

デグーに与えていたエサは、デグーフードという固形のものと、チモシーという牧草だった

チモシーはうさぎなんかも食べている干し草

調べると、その飼い主がアレルギーになっている、という話がわんさか出てきた

 

そう、悪いのはこいつだっだのだ!!

(※素材)

 

 

とはいえ与えないわけにもいかないので、

彼らとふれあう時、エサやりをしている時はマスクをして

なんとかする日々が続く

(まあマスクも無駄なくらいひどかったのだが)

 

物心ついたころから鼻炎なので、とくにひどくても

そこまでやべえと思わない愚かなまえがみ氏

デグーと平行して、チンチラ、というねずみちゃんも飼いだす

(※うちの子)

 

当時はほぼワンルーム

動物たちと寝るまで同じ空間にいて

まあ、鼻炎はひどかった

ずっとひどかった

 

デグーちゃんは先に死んでしまって

なんやかんやあって

引っ越しもあって

チンチラは4匹になって…

 

今もチンチラと暮らしているわけだが

どうしたことか、いつの間にやらアレルギー性鼻炎はほとんど

当時のような症状が出なくなっていた

以前はホコリを見ただけで反応するくらいだったのに…

 

 

そう、私が思うに…

私の鼻炎は、鼻炎を悪化させ続けることによってなおったのだ!!!

まさに毒を以て毒を制した、ハッピーエンドである

 

まあ、悪いふうにいえば、アレルギー反応がバカになってしまった、

ということなので、結果的に本当は良いのか悪いのか、私には分からないのだが、

日常の鼻炎ストレスがなくなったのは確かである

 

 

是非鼻炎で日々苦しんでいる人は、

日々を過ごしている部屋にチモシーをばらまき、

毎日二回くらいそれをモシャモシャして、

鼻炎をひどくして、

5年くらい過ごしてみると、その後の人生が大きく変わるかもしれないよ…

という、元激やばアレルギー性鼻炎からの、アドバイスです

 

(うそうそ!責任とれないので絶対参考にしないで!)

 

 

 

 

 

ドラえもんの新作映画を見た話

先日、姉に誘われて、上映中のドラえもんの新作映画

映画ドラえもん のび太と空の理想郷

を見に行った。

 

ドラえもんを映画館で見るのは多分13年ぶりくらい。

作品自体は2014年公開の「新・のび太の大魔境」ぶりの鑑賞である。

 

姉も私も昔はよく一緒に見たものだが、

かなり久しぶりに姉が誘ってくれた理由は、

今作の脚本が古沢良太さんという、有名売れっ子脚本家の方だったからということだ。

三丁目の夕日寄生獣、コンフィデンスマンJPなどに携わっているお方)

 

私はわりと子供向け作品でもピュアな目で見て楽しんだり評価したりできるほう。

ドラえもんはその目線でみても、(その目線だからこそ?)当たりはずれが大きい。(昔の作品から)

今回は前評判が良い、という話だったが、まああまり期待せずに見た。

 

そしたら

 

おっもしろかったーーーーー!!!!!

 

以下ざっくりあらすじです。

 

世界には「ユートピア」という、嫌なやつがいなくて、戦争がなくて、

皆楽しく生きている「幻の場所」があるらしい、ということを知った野比のび太

なんとなくそれっぽいものをたまたまた見てしまい、

ドラえもんに探したい!!とねだる。

しょーがないなー、とドラえもんはそれを探す場所時代自由自在の中古飛行船を購入。

いつもの仲間と一緒にその旅にでて、なんやかんやあり、

結局「ユートピア」らしき場所、「パラダピア」を見つけてしまう。

そこは、みんな優しくみんな笑顔、そして誰もがパーフェクトな人間になれるという、400人くらいが幸せに暮らす素敵な場所。

落ちこぼれコンプレックスのび太は「パーフェクト人間」を目指すべく、ジャイスネしずかと共にそこの学校に通うことになるのだが……。

 

はい、半分までです。

感じたテーマは「欠点も含め僕は僕だし君は君である」。

ドラえもん版ミッドサマー

って感じで、偶然だと思うが、宗教や洗脳を意識させるタイムリーな内容。

ありがちかもしれないが、大人でも引かれる実は重いテーマである。

 

 

今作は敵(このユートピアを作って人々を洗脳している人)の最終目的が

明かに悪かったから、「それはダメー!」って言えるけど

そうでもなかったら、「みんなパーフェクトでみんな幸せ」

そんな世界を作る事はたとえ洗脳という手段をとったとしても悪いことじゃないようにも思えるよなぁ、

とか考えちゃう、もうピュアじゃない大人の自分を発見したりする作品でもありました。

 

それはともかくとしても、

このざっくりあらすじ後、後半の怒涛の展開と伏線回収、お見事でした。

 

劇場版ドラえもんの一つのウリである、冒険心をくすぐるところ、子供をワクワクさせるポイントを

今までの作品を彷彿とさせる感じでおさえつつ、それでいて現代らしく、新しい。

話のテンポもいいし、数人のゲストキャラの描き方もいい。

明るいんだけど怖い感じもいい。

 

力入れすぎだろ!!!スタッフー!!!

 

っていいたくなる大力作でした。

なかなかこれは今後オリジナル作品で評価を抜くの、大変なのでは??

 

ただやっぱり問題解決に向かう中で、ドラえもん作品を超えちゃうような説教臭さはちょっと感じるんだけど、

それはF先生作品でもやってたし、多少は、多少はね?

 

 

 

………とか、こんなふうに、ちょっと指摘しちゃったりするくせに、

冷静にえらそうに評価したりするくせに、

実際はやっぱり純粋に物語の中に入っちゃって、

平日にもかかわらず、それなりにお客の入ってた劇場内で

キャッキャいいながら見てる子供を横目に、

涙で顔がぐちゃぐちゃになってしまうまえがみなのでした……。

(明らかに制作陣が狙ってない場所でも泣いてしまうんだけど、この病はいったいなんていうんですかねぇ!)

 

 

悲報!中途半端な状態つづく!

おっしゃー!2月からは英語に全集中だぜ!

オラオラオラオラ!!!

 

とオラついていた私はもういない…

中途半端な状態で3月を迎えることになってしまった

 

配信以外のゲーム禁止、漫画禁止、音楽制作禁止・・・

とはりきっていたのだが、

うーんやっぱりちょっとは音楽くらいやらないと、

と思って既存曲のリメイクをはじめたが最後

 

どんがらがっしゃん!!!!

やはり色々なことに力を注ぐのは不可能なようだ!!!

音楽に割く時間が増えまくっている!!

 

しかもそれにくわえ、3か月後くらいに死んでしまうのかワシは、

というくらい懐かしい人などに色んな人に会いまくっている始末

(つまり飲みまくっている始末)

 

さらにさらに、英語の聞き取りのために海外ドラマを見ていると

頭が痛くなってくるので休憩するか、と思って

ひっさしぶりに千鳥の「相席食堂」という番組を見始めたが最後

バックナンバーをさかのぼっちゃっている始末

(つまりもう番組にはまっちゃっている始末)

 

ひどいぜ!!!

ひどいぜ!!!

本当はもうちょっとストイックにいたかったのになぁ

 

だがしかし、時間だけは経っていくのである

恐ろしい

 

 

いやだけど本当に千鳥の相席食堂っていい番組だねえ

千鳥のツッコミはもちろんだけれど

色んな人のロケ見れるのもいいし、色んな場所も見れるのもいいんだよねぇ

癒されるなぁ

 

おおおおおおおttっとおおおおおお

なに私は相席食堂ずいているんだ!!!

英語やれ!英語!

龍笛を買ったこと

突然だが、このあいだ突然「龍笛」という笛を買った

入門用の安いやつだけど、クールだよ

じゃーん

日本に古くからある、あれである

雅楽などで使われる、あれである

牛若丸の持ってる、あれである(多分)

 

地域柄、鼓や和太鼓などは叩いたことがあったが

笛系の和楽器は初挑戦であった

 

届いてワクテカ状態の私は

うっひょぉぉぉ牛若丸になるぞおおおお

と意気揚々と飛びついた

 

のだが

これが…

これが…

 

音が出ない…

フーフーと息を一生懸命ふきこんでるだけであった

もちろん丁寧に吹き方を教えてくれるyoutubeも見た

だけど全然だめだった

しかも吹き始めるとすぐに頭がくらくらして倒れそうになる

(いわゆる酸欠である)

 

なぜリコーダーのように吹くだけで音が鳴る楽器じゃないんだこれは!!

うわあああああああ!!

と、放り投げそうになったが

まあ落ち着いて、一日ちょっとずつ触るようにした

 

そしたら突然!!昨日、音が出始めた

この感覚、あれである

 

さかあがりが急にできるあれ

自転車のコロが突然はずれる、あれ

ピアノで難しい曲なのに急に指が動くようになる、あれ

あれ、である

 

あの瞬間はいつでも独特だ

自分でもびっくりする独特の瞬間だ

平行線が急にビヨーんっと上昇するあれ

ゴンゴンゴンゴンゴンビュウウウウウウウウウンってなる瞬間

毎度不思議に思う

が、それがとても気持ちい

その瞬間が多いから、楽器の練習は楽しいといっても過言ではない…

 

 

しかしまだ、かろうじて音が鳴る、段階である

龍笛の道は途方にくれるほどながい

はやくこれをかっこよく吹きこなせる忍者になりたい

 

そもそも金欠の最中これを買うにいたったのは

「分身そんぐ」という曲の笛パートが音源だと微妙だったので

自分で吹きたい、と思ったからだった

 

しかしその段階になるまでには3年くらいかかりそうなので私はあきらめた

 

なのでモチベーション変更

日本人なんだから和楽器をかっこよく演奏できるようになって、そして世界に羽ばたいてやる!

ガハハ

 

ふう

 

どうか、どうか

まだヒュウヒュウとしか龍笛を吹けない前髪をよろしくおねがいします

 

まえがみは友達がすくない

笑ってる君は 青空みたい
見てると ぼくまで 微笑んでしまう
ちがう色した シャツ着ているけれど
おんなじ色の 夢をおいかけた
ずっと 遠くの 空のしたまで ルルルル
二人で 旅した 雲のように ラララ
ぼくたち ほんとは ともだちみたい
ぼくたち ほんとに ともだちなんだ
いつも いつまでも
ともだちだからね ともだちだからね

1987年公開、ドラえもん のび太の竜の騎士
主題歌および挿入歌、「友達だから」
の歌詞である

数ある劇場版ドラえもんの中でも私の大好きな名作だ
そして大山のぶ代さんの歌う名曲である
ああ
素敵だ

うたは本当はこのくらい
平和なくらいがいいのではないか
このくらいの平和なうたが、本来のうたなのではないか
と思わせられる

そして

ともだち
素敵な響きだ

だが、まえがみは友達が少ない

今年のあけおめライン0件!(これ、まじだぜ!)

ともだち、ってなんだろう…
って大人になればなるほど考えてて
ちょっと今もよくわからない

定期的に酒を飲む知人はいるが
はたしてその人たちはともだちなのか??
わからない

今の私にとって一番の友達は
大好きな実姉なんだけれど、
友達がたくさんいるひとは、
こんな私にとって姉みたいな人がたくさんいるってことだから
それはそれは楽しいんじゃないか、
って、最近は思うようになったりした

(だって同じ人と会うのは1か月に1回くらいだとして、たくさんいたらそれが何回もできるってことだもんね!ひゃー!楽しそうー!)

たぶん、大人になってからのともだちって
何かしら共通項がないとだめだとおもうんだけれど
私はやっぱり趣味が酒なので
酒飲みともだちがいっぱいほしいなぁ
と思う
今日この頃です
(果たしてその人たちは、友達、といえるのか。以後、無限ループ)

過去のそれを超えていけ

ズヒャアアアアアアアアアアアアアア

 

私はいま、英語をがんばっている がんばろうとしている

が、

音楽だけはなにかしらやってないとやってられなくて

それで

いちから曲作るのは英語がないがしろになるから、と

「分身そんぐ」

っていう昔の曲のリメイクをやっている

 

のだが、

 

やっぱり英語がないがしろになっている!!!

ああなんというシングルタスク人間!!!

 

まあそれはいいんだ…よくないけど…いいんだ…

 

で、またあの問題にぶちあたった

「一回完成した(クオリティはなんであれ、自分の中で終わったもの)ものをもう一度作り直す難しさ」

 

これは、去年のハードディスク故障事件で

(※ハードディスク故障事件・・・前髪は当時アルバムのための曲を作りまくっていたが、ハードディスクがお亡くなりになったため、バックアップしてなかった曲たちをもう1度作り直すこととなった)

心臓に穴があきそうなほど実感したことだけれど

本当に、本当に、むずかしいのである!!

 

前の良さをいかしつつ、現在の感性でいい感じに仕上げる…。

記憶だけしか残ってないならまだいいものの、そのモノが残っててしまうと

前のものを「正解」としてみてしまい、これがどうも、自由度を圧迫してくるのである…。

 

ああ、すごい…世の中のリメイクを作る人たち…ほんとにすごい…

いや、ほんとに、ほんとに、ほんとに、すごい…

自分のなんの権威も価値もないものでもこんななるのに、

名作のリメイクとか、どんだけ大変なことだろうか…

想像だけで吐き気がするくらいだぜ…ぼえぼえ…

(クソリメイク、と言ってしまうのはなんと簡単なことであろうか)

 

こう改めてこのことについて考えてみて

はっとしたことがある

 

これは…!!自分自身についてもいえるのではないか…!!

 

現在を生きている、と思っているはずが、なにかにしばられている

 

ああそれは、まぎれもない過去の自分なのではないか!!!

 

こいつが今の自分の自由度を圧迫しているのではないか!!!

 

過去の体験に縛られて違う方法や手段をとれないのはよくある話である

行動レベルだけではない

思考レベルでだ

 

今やっている作業では、それを打破するのは、

抜群の集中力と創造力と発想力だが

自分自身となると…

 

うーんむずかしいが

そうしないとずっと焼き増し

(焼き増しは同じように見えて過去をこえられない、というか、だんだんレベルが下がっている)

 

人の作品について「クソリメイク」とおもうまえに

今の自分が過去の自分の「クソリメイク」になっていないか

今一度考えていきたい次第だ