まえがみのニンニンニン

我が名はまえがみであり前髪である。書きたいことを書きたいように書いているのである。

日本古来の信仰について

都内のね、とある23区外にね

私のお気にいりの歴史ある大きな神社がある。

 

先日新年ぶりにお参りしてきた。

 

上手く説明はできないが、境内に流れる空気感とか何かが好き。

なんだけど

それに加え、ここの狛犬がとっても好き。

可愛くないですか???

なんか、世に溢れる狛犬と、ちょっと違う。

 

表情や身体のデザインの個性。同時に感じられる古さと技術力。

このまるで小さな岩礁のような土台と、コケむした自然感。

たまらない!!!

 

とまあ狛犬ちゃんたちはいいとして、

ちょっといま、改めて日本古来の信仰について考えており、それについて書いた記事が興味ぶかかったので、ざっとまとめてみる。

 

 

※前提として、私は海外の人の持つようないわゆる「信仰」というものは持ってない。ほとんどの日本人にしみついている「おてんとさまがみてる」「神社におまいりしよう」のような感覚のみ当たり前のように持ってる。(血に流れる宗教的民族感覚というのかしら。わからんけど。)

 

読んだのは社会学者の橋爪大三郎さんの書かれたこの記事。

www.nippon.com

 

日本古来の信仰が「神道」であることは知っていたけど、それがどういうもので、どういうことなのか知りたくなって読むに至った。

ふむふむ、となった点(ほぼ全部だが)を箇条書きにさせていただく。

(今回の記事は頭を使うぞ!!)

 

日本古来の「カミ」とは

・Godを神と訳すが、それが間違いのものになりやすい。

・Godという英語で「G」が大文字になることから分かるように、英語におけるGodは一人の神。一神教における神のことである。

・漢字の「神」は中国語の「神」の意味になる。人間の精神現象という意味を主に持つ。神のような存在も表すが、決して一番上というわけではない。一番ランクの高いものは、天とか上帝で表す。

日本古来の「カミ」は、いうなれば自然現象を人格化したもの。神社に祀られているものや神話にでてくるものはもちろん、動植物や人間、木や岩、太陽などの自然のものも、並外れていれば「カミ」。つまり日本はそういった自然に恵まれ、「カミ」が至るところにいる、という意味での「カミの国」。

国学者本居宣長「人に「あはれ」と感動を与えるものはみなカミ」と定義している。

 

「八百万のカミ」という言葉から分かる通り、日本におけるカミは、他の固有の宗教の持つ「唯一神」とは存在も考え方もまったく違うものなのですよね。

そしてその感覚が現代の若者に至るまで、「神道」のしの字も知らない若者にもなんとなく残っているという・・。

 

神道」にいたるまで

カミを祀る日本古来の信仰が「神道

・古代の神道がどういうものであったかは、資料が残されていない。

・自然崇拝の習俗があった狩猟採取段階の縄文人土偶などの生産力の象徴をあがめ、朝鮮半島のシャマニズムも受容した弥生人中国からきた青銅製品は祭具や呪具になり、易や天文暦学は祭礼や葬礼に反映されたこと、各地の共同体などが氏神を祀り神社を建てたこと、などの要素が混ざり合い一体になったと思われる。

これらが「神道」として意識され始めたのは、のちに仏教がやってきて、人々がその違いなどを意識してから。

 

なるほど。仏教の伝来、そしてその比較によって日本人自身が「これが我が国の神道か」と認識したわけですね。たしかに比べなきゃそんなのわからんだろうな。

 

仏教の開祖ブッダとカミの比較

ブッダは悟りを開いた人間。輪廻を解脱しているブッダは死ぬといなくなる。カミは人間ではないが、人間の祖先であり生きてることも死んでることもある。

ブッダは独身を守る男性だが、カミは性別があり、結婚することもある。

ブッダは仏像を作って寺に置く。寺にブッダがいるわけではない。

・カミに神像はないが、神社には依代(カミがやってくる場所)を置く。カミが神社にいるわけではない。

 

カミは開祖ではなく、より伝承的な存在(観念?)、という感じだから、そりゃあ違いますよね。

 

ヤマト政権時代におけるカミガミと仏教を選ぶにいたった者たち

・ヤマト政権(4世紀~7世紀)は、各地にある有力集団(それぞれが祖と仰ぐカミがいる)に対し、アマ氏(アマテラスを祖とする集団)のみが祭祀権を独占する、とうい同盟を作り、成立した。

・その同盟は、カミガミが調和的に存在する神話を編成する、ということで成立。

・8世紀に日本書紀」「古事記がまとめられる。その中では、カミガミの中で「アマテラス」が主神であり、その子孫が天皇であり、祭祀権と統治権の継承を独占すること。 が書かれている。

・他国の一神教の歴史と違い、ヤマト政権は他のカミガミを排除するのではなく、アマテラスに従属するそれなりの地位を与えて、カミガミの共存、いわば有力集団との共存の道を進んだことが特徴的。

・このような神道の再編により、排除されることになった有力集団は仏教を自由に採用できた。各地からヤマト地方に移り住んだ有力集団の者たちは、政府の官職や土地を世襲して貴族化。その貴族たちは多くが仏教に帰依し、寺院を建てて、来世での極楽往生を願うことになる。一方農民たちにとっては、伝統的なカミガミ信仰のほうが身近だった。

 

この時代に「アマテラス以外の神はいらねぇー!」っていう方針にならなかったからこそ、今もなお、たくさんの神がいて、祀られている現状があるということですね。こういう日本ぽい感じ、好き。

 

 

これで半分くらいまとめたので、あと半分はまた次に!

いやあ、私が歴史や宗教をあまり知らないだけかもしれないが、こういう話、いまとなってはとっても面白く感じる…。

普通の人にとっては当然の歴史なんだろうか??

 

なにはともわれ知れてよかった。

次回もアウトプットしていく。