やあやあ
最近はお酒を本格的に控えてるまえがみだよ
でも、今日は飲んでるよ
久しぶりに飲むビールはうまいね
げへへ
そしてレディオヘッドのライブ音源を聞いている今
なんと尊い時間なのだろう!!
最近はずっと動画編集にうちこんでて
なんだか頭がくらくらする毎日だ
だけど歯磨きの時間に見る「令和の虎」という番組が
なぞに私を癒していくれている
ああ謎に
Youtube番組は滅多に追わない私にとって
「令和の虎」ははじめて追ってる貴重な番組である
番組や出演者の良しあしはまあ別として
楽しませてもらっている
ここで無理やり本題にねじこんでいくとする
令和の虎内外で
若い社長たちが
いや
で、さえも、
いつからだろう
という言葉を日常でいいまくるようになった
そこらへんのひとも
芸人さんも
そして社長さんたちも
私もノリでいったり
ノリでそれに乗ったりすることがある
もちろんある
けど実は
この言葉はあまり好きじゃないのだ!!!
のだ!!!
のだ!!!
(そんなに引きがないのを分かって強調する)
人は早い人であれば
小学生の時点で
「あの子はあわないな」とか
「ここのグループは違う」とか
その自分と他人のへだたりを感じる
それにもちろん
「明るい人」「暗い人」というのはあった
だが
あったにせよ
その言葉が生まれるまでは
もっと曖昧で
ぱきっとわけることはなかったはずである
しかし言葉は生まれた
その会話のノリから
自分はどっちか、相手はどっちか
ぱきっと分別できるようになってしまった
言葉の力は強い
精神も変えていく
たとえノリであっても
いじりであっても
「おまえは陰キャだなぁ」
「私は陰キャだから」
そんな言葉で
確固たるタイプ分けはすすんでいく
なんていうか
もうそれは普通になってしまった
世の中に浸透しすぎてしまった
私は「なんで!?」と思わずにいられない
いられなかった…
普通に生きていても
どんどんむしばんていく言葉の力を持つそれを
真正面から受け入れられない気持ち…
その気持ちを
私史上はじめてここに書いている
という気持ちを持ちながらも
一応もうすでにその感覚がしみついている自分だが
どっちか分からない…
どっちでもないと思う…
むしろ、どっちかにあてはめようとしてる皆が分からない…
このような傾向がある事柄は
いっぱいある
基本的なものでいくと男女
そして血液型に人種
家族構成
「自分はHSP」なんかもそう
世代なんかもそうか?
みんな自分や人もどっかに当てはめることが好きなもんだから
どんどん当てはめて、自分もその中にあろうとする
でもそれらって全部人が作った分類
「個」っていうのはもっと曖昧なもんじゃないかなぁ
と、思う
あてはまて、はまりたがるもんだから、
もっと悪い方向の例だと
病気じゃない人あるいは
病気になりそうな人が
「自分はうつなんじゃないか」
というあまりに強い思い込みで
本当に鬱になったり、本当の鬱に埋没し
悪いことになったりする
みんな「当てはまる何か」を探し過ぎて
それに埋没しすぎである
それが楽しかったり楽だったりっていうのは分かる
自分も楽しんでいる
でも冷静になれる時がある
皆そんな時があると信じたいなあ
「定義」はいらないじゃないんか?本来
自分は自分
それでいいじゃないか
当てはめて、それに寄ってく自分
それを感じたことはないのかなぁ
きっとそれを感じる余裕がないくらい
人は、孤独なんだろうなぁ
話を戻すと
まじわってもよかった人とのまじわうチャンスさえも
失う
私の学生時代はその言葉がなくてよかったなぁと思う
もちろん「自分とは違う人」「似てる人」
っていうのはあった
距離を自然におくこともあった
けどそれはもっとおおざっぱなもので
「あの人は陽キャだから」っていう距離の置き方をしなくてすんだ
言葉の力は強く、仲間内の会話は人格を矯正してしまうくらいのものである
あっというまに「違う生き物」レベルの分類ができて
違う人、と思った人に対してのバリアをはる
その言葉が無かった頃でさえそうだったもの
その言葉ができたら尚更でしょう?
幸い、私は恵まれているのか
あまり人を分類せず
色んなタイプの人と関わってこれた
人は関わらないとレッテルを貼る
まるで芸能人のごとく
近くにいる人でさえも
「テレビにうつる姿しか知らない芸能人」
と同じくらいの印象しか抱けなくなったりする
それってつまらないし、いやなんだよなぁ私は
私は…
私は…
ってことは
みんなそれを別につまらない、とは思ってないってことか
そうか
それならそりゃあそうだな
人ってもっと
面白いんだけどなぁ
そんなこんなで
あまりそういったレッテル張り(自分にも、他社にも)
はほんらいの私はあまり好きじゃない
けど、嫌いとまではいかない
そう
これよこれ!
好き、嫌い、も皆はっきりとさせたがるけど
人ってそんなに単純なもんなんかねぇ!
なんて思いながら
「コミュニケーションでの伝わりやすさ」
(これは会話も、企業による我々への宣伝もふくむ)
を追求した場合
そうなるのは必然と思う
でもどっちであっても受け取り側は自由なわけだから
皆、冷静であるときがあってほしいなぁと思う
自分は何者?
自分は自分だろ!
といいたいところであるが
人々に
いつも属する場所に
居心地の悪さを感じてほしい
と、思うのはまた
そう思う自分と似てる人と違う人を区別し
仲間が欲しい
そんな孤独な
習性なんだろうなぁ
自分の
おお??
なんかアーティストの嘆きみたいになってきたぞ?
心に染み入るパンクロックをかけるんじゃないか?
なんて
私はまた歌手でもアーティストでも詩人でもなんでもない
そういう分類も自分にできない
ただ曖昧ななかにいきる
曖昧な人…
確かだといえるのは
今日も、ビールが美味い人…